日々、てくてくと。

本・漫画・ハロプロネタを中心に日々考えてることを気ままに。

【雑記】母の三年連用手帳。続けるということ。

 

今回は、今週のお題「2017年にやりたいこと」に沿って書いてみます。

 

私の性格を言葉で表すと「熱しやすく冷めやすい」が一番ぴったりとハマるだろう。昔馴染みの友人からは「猪突猛進だ」だとか「こうと決めたらそこに対する熱量がすごい」などとよく言われる。

受験勉強にしても、習っていたピアノにしても、好きな芸能人にしても。「これだ!」と思ったら寝る間も惜しんでのめり込むタイプだ。だが、続かない。その熱量もいつの間にか失われている。まさに「熱しやすく冷めやすい」性格なのだ。

そんな私だが、今回「2017年にやりたいこと」を考えたとき、「なにかひとつのことを一年間やり続けること」という考えがまず頭に浮かんだ。重要な「なにか」の部分については浮かんでいないのだが、とにかく「一年間つづけること」をやり遂げてみたいと思ったのだ。

そこで正月休みの帰省中、母に「なにか継続していることはあるか」とたずねてみた。「あるわよ」と意気揚々にたんすの奥から母がそのなにかを取り出す。それがこれだ。

 

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 3年連用手帳

「独身時代のは処分してしまったけれど福岡に嫁いだ24歳の頃からの分」と古びてヨレヨレになったものから真新しいものがずらりと並べられる。

 

博文館 手帳 2017 3年連用手帳 黒 No.060

博文館 手帳 2017 3年連用手帳 黒 No.060

 

 

ちなみに母が長年使っているのは博文館から出ているこちら。昔は黒色だけだったそうだが、最近では赤やゴールドも発売されており、どの色を買おうか迷う楽しみもできたらしい。

嫌がる母を横目に中身を拝読すると、娘が熱を出したやら息子が誰々と喧嘩したやらママ友とどこどこのランチに行ったやら。なんてない日常が箇条書きで書き込まれている。私自分が覚えていないようなことも母の手帳に記されており、「こんなことあったっけ?!」 と読むのが止まらなくなる。

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【雑記】三江線、女ひとり旅!日本一乗客が少ない電車に揺られて。

 

あっという間に2017年。

12月は師走と言うだけあって本当に月日が経つのが早かったですね。

紅白歌合戦と格闘技番組を交互に見ながら、「2016年も終わるのか」と実感のわかないまま2017年を迎えました。

そんなこんなで「今年一年どんなことがあったかな」と、すでに年も明けていますが、振り返りを兼ねてYahooニュースの記事を漁っていたところ、こんな記事を見つけました。

 

zasshi.news.yahoo.co.jp

 

この記事の中で紹介されている芸備線という路線。

2016年の2月に乗車した経験のある路線でした。

ちょうど一年前くらいですね。

仕事で上手くいかないことが続いて気が滅入りそうになっていた時に、「単行電車に乗りたい!!!」と急に思い立ち、1日有給をとって2泊3日の女ひとり旅に出たんです。

ただし、旅のお目当ては記事にある芸備線ではなく、すでに廃線が決定している三江線だったのですが・・・。

思い立ったが吉日。

金曜日の夜に、仕事が終わった足そのままで深夜バスに乗り込み、広島に向かっていました。

Yahooニュースの記事を読んで懐かしい気持ちになったので、折角ですし、その時の旅について思い出しながら書きたいと思います。

 

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※尚、私が三江線に乗ったのは2016年2月で約一年前です。この時はまだ廃線が決定しておりませんでしたので時刻表や乗客の割合や様子など所々変わっていると思います。ご注意下さい。

 

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【雑記】逃げ恥8話にみる親と娘のメタメッセージ(星野源のラジオを聴いて)

 

明日の逃げ恥9話を前に、星野源さんのラジオ「オールナイトニッポン」を聞く。朝は容赦なくやってくるというのに、夜更かしを満喫しているわけです。眠気まなこをこすりながら、ラジオを聞く。まさに、至福の時間ですよね。仕事のこととか考えない!(ちなみに一番好きなラジオ番組は「山里亮太の不毛な議論」で、radiko.jpは最も欠かせないアプリです)

 

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というわけで、夜な夜な星野さんの声に耳を傾けていたところ、逃げ恥8話のあるシーンについて、星野さんがこんなことを語っていました。印象的だったので、今回はこのことについて書きます。

 

 親と子の裏のコミュニケーション

※以下、「星野源オールナイトニッポン」より

※一言一句、抜き出せてはいません。 

 (星野さん)

 

もうひとつ、好きなシーンがあって。

みくりさんが、お母さんが骨折しちゃって、心配して実家に帰るわけです。で、お母さんは「帰ってこなくていい」と。で、お兄さんにも「帰ってこなくていいよ」って言うんですけど、みんな心配だから、息子や娘たちは帰ってくるわけですよ。で、みくりさんの友達も来たりしてね。

 

で、そんな中で賑々しく実家での数日があるわけですけど、1日かな?日にちが経って、お兄さん夫婦もみくりさんの友達も、みんな帰っちゃうんです。で、みくりさんだけが残る。

 

で、さくらさん(みくりの母)が「みんな帰っちゃって寂しいなあ」って言うんです。そうすると、みくりさんが、「来るなって言ったくせに」って。で、その後にさくらさんがみくりさんに向かって「ずっと居てもいいのよ」って言うんですよ。みくりさんと平匡さんが喧嘩していることを察しているうえで、、、(さくらさんが)「ずっと居てもいいよ」と言って、(みくりさんが)「うん」って言うんですけど、そのシーンがすごく好きで。

 

なぜ好きかというと、「ずっと居てもいいのよ」って言うことは「あなた帰りなさい」って言ってることなんですよ。特に、なんの説明もないんですよ??表情的に「あなたすぐ帰りなさい」っていう表情で言うんじゃなくて、本当に「ずっと居てもいいのよ」ってサラっと言うんですけど、、それを見て、ちょっとだけニコって笑うんだけど、ちょっとだけ何かを察したように、みくりさんが「うん」って言う。で、その後にみくりさんが帰るっていうシーンがあるんですね。

 

なんの説明もなく、母と子の裏のコミュニケーションがあるっていうシーンなんですよ、あれ。いやあ、凄いなあと思って。その台詞の順番もそうですけど・・・。

  

 

この星野さんの解説(というのかな?)を聴いて、ふと、頭によぎったことがあるんです。最近、私自身が転職をしたことは、このブログの随所に書いているんですけど、前職を辞めて新しい職場に入るまでの一ヶ月間、実家で過ごしてたんですね。

で、実家で過ごす最後の日。

いつもなら空港まで送ってくれるのは父か母かどちらか一方なんですけど、その日は父も母もついてきてくれたんです。犬の散歩がてら、とか何だとか言って。

空港に到着してからも、「駐車料金高いし、私を降ろしたら帰っていいよ」って言ったのに、わざわざ車を停めて、空港内までついてきてくれるんです。以前のブログに書いたように、父は相変わらずの作務衣+下駄スタイルで。

なんだか、大学進学の為に初めて実家を出て、東京に飛び立った日みたいでした。父も母も(もう亡くなってしまったけれど)祖父も祖母も兄まで、みんなで見送りに来てくれた日みたいでした。 

20半ばを超えたいい大人が、父と母に見送られるなんて何だか恥ずかしさもあったけど、嫌じゃなかったというか、何だかんだ嬉しかったんだと思います。

で、搭乗時刻になって別れるときに、まずは母が一言。

「ガムシャラにやってきなさいね」と。

で、続いて父が茶化すように一言。

「ダメやったらすぐ帰って来ていいっちゃけんね」と。

そんな父に、すかさず母が「なん言いよると。そんなすぐに帰ってきて貰っちゃ困る」と。それに対して父は「かかあは、恐ろしかあ」なんて笑ってましたけど。星野さんの話を聴いて、逃げ恥の8話を見直して、このときのやりとりを思い出したんですよね。 

 

“思い”と“言葉”の関係性

 

以前のブログでも、感情を言葉で表すことについて少しだけ書きましたが、今回のことを受けて、やっぱり感情と言葉の関係性って尊いなって思います。

感情を直接的に言葉で伝えるほうが良いときもあれば、直接的な言葉にしないほうが、より相手に真意が届くこともある。

まあ、あの父と母ですから、私が、彼らのあの日の言動から感じ取ったことを伝えたところで、「そんなこと考えとらんし!」とか言って、ガハガハと笑われそうですが・・・。ま、勝手に解釈するのも悪くないですよね。

 

さて、逃げ恥9話も楽しみですね!

ちなみに、ドラマをきちんと毎週通して見るのは数年ぶりです。

…それにしても、星野さんが役だけじゃなくてラジオでも“みくりさん”って呼び捨てにせずに呼んでるのなんかいいなぁ〜。

 

以上!

 

※ちなみに、両親 ・ 感情と言葉について書いたブログは以下※

 

 

【小説感想】『四月になれば彼女は』“なぜ人を愛するのか”理屈では説明できない問いと対峙する。

 

色鮮やかな装丁を施した本が並ぶ中、その一冊を手に取った。

天国に一番近い湖と言われるウユニ塩湖のグラフィックに白い文字でタイトルが綴られている。全体的に薄い色素のデザインは儚く消えてしまいそうで、けれども、確かな存在感を放っている。私はその本を無意識に手に取っていた。

作者は川村元気。2016年だけでも「怒り」「シン・ゴジラ」「君の名は。」などの大ヒット映画を世に送り出した敏腕プロデューサーだ。作家としても「世界から猫が消えたなら」や「億男」などベストセラーを出版している。そんな彼の最新作。読むしかないと、迷わずレジに向かった。

そして今。この本を読み終わり、私はどうしようもない孤独感に襲われている。恋愛小説を読み終わった後の「こんな恋がしたいなあ(うっとり)」という通常の感情が微塵もない。残ったのは孤独、それだけだ。

 

四月になれば彼女は

 

きっと今感じてる孤独も“いつの間にか消えていってしまう”儚いものだろうから、忘れないうちに本ブログに書き綴っておくことにする。(引用文などを含むのでネタバレが嫌いな方はご注意を)

 

『四月になれば彼女は』

あらすじ

本作は、 大学病院で精神科医として勤務する【藤代俊】の元に、一通の手紙が届くところから物語が始まる。差出人はかつての恋人【ハル】。大学生時代に交際していた、藤代にとって、初めて恋した相手だ。そんなハルからの突然の手紙。そこには、ハルが現在旅をしているという異国の情景や、大学生時代の藤代との思い出が綴られていた。そして毎回、その時々にハルが撮ったという一枚の写真が同封されていた。

なぜ“今”になって、かつての恋人からこのような手紙が届くのか。折しもその手紙が届いたのは、藤代が現在の婚約者【坂本弥生】との結婚を控えた1年前だったのだ。

同棲して3年。お互いの行動のタイミングは把握し合っている。コミュニケーションは滞りなく運ぶ。居心地も悪くない。結婚をするのは自然の流れだ。“けれども”。ふたりは、かれこれ2年以上セックスをしていない。そんな藤代と弥生の関係が、【ハル】からの手紙をきっかけに、変化し始める。

なぜ人を愛するのか。なぜそれが失われていくことを止められないのか

藤代と弥生とハル、そして、“夫とセックスレスが続く”弥生の妹、“今後一切、男性と触れ合うことはないと決意した”職場の後輩、“ゲイだと噂されている”友人など、藤代の学生時代の懐古シーンを挟みながら、様々な人物たちの愛のカタチを問う12ヶ月間が始まる。

 

 なぜ人を愛するのか。理屈では語れない問いと対峙する。

本作を読んでいる時、部屋の外から工事現場の音がかすかに聞こえてきた。邪魔だと思った。この作品を、何の音も感じない空間で読みたいと思った。分かりにくいかもしれないが、私は本作を、一面が真っ白な壁に覆われた窓ひとつない部屋で、どこかにあるはずの出口を探しているような、そんな気持ちで読み進めていた。 音ひとつない色ひとつない場所で、そもそも答えが何なのか、どこにあるのかも分からないまま、でも探し続ける。そんな感覚を終始抱いていた。

恋は風邪と似ている。風邪のウイルスはいつの間にか体を冒し、気づいたら発熱している。だがときが経つにつれ、その熱は失われていく。熱があったことが嘘のように思える日がやってくる。誰にでも避けがたく、その瞬間は訪れる。(P61)

「結局わたしが彼のことを男性として見たことはなかったんだと思う。あのはじめてのセックスのときですら」(P75)

「セックスによって愛を確認することなんてできないと思っているんでしょうね。確かに、それが愛のあるものなのか、愛のないものなのかは、どこまでもわからない」(P208) 

「やっぱり僕は自分がいちばん大事なんですよ。それなのに誰かとずっと一緒にいるとか無理がありません?」(P241) 

 けれども、人は恋をする。

けれども、人はセックスをする。

けれども、人は結婚をする。

本作には、理屈では簡単に説明できない、“けれども”がたくさん詰め込まれている。不変の愛など存在しない。“けれども”、「なぜ人は人を愛するのか」という難問を、冒頭から最後まで突きつけられ続けるのだ。まるで哲学だ。

だからだろう。上述したような、手探りの状態で居続ける心地を覚えたのは。

 

動物、人工知能、そして、死

小説を読むとき私は、作者はなぜこのタイミングでこのキーワードを絡めてきたのだろうと考えることが多々ある。本作のテーマにどう関係しているのだろう、と。

私にとって本作のそのキーワードは、「動物・人工知能・死」であった。まず、「動物・人工知能」というキーワードが、「なぜ人は人を愛するのか」というテーマに、重みと、かけがえのなさを与えているように感じた。

「動物とは性格の不一致とか、価値観の違いでぶつかることもないだろうし、案外いいのかもしれない」

弥生はひとりごとのように言うと、おしぼりで口を拭いた。

「意思の疎通ができないことが、永遠の愛につながるのかも」

藤代は眉を下げながら同意した。(P180)

果たして、人工知能愛する人に嫉妬するのだろうか。人の過ちを大目に見たり、水に流したりできるのだろうか。(P155) 

 人と動物や人工知能とでは、何が違うのか。明確な答えが綴られているわけではないが、そこに重要なヒントがあるように思わされる。

そしてもうひとつ。死というキーワードについて。

本作では、ある人物の死が描かれているのだが、そのことによって、恋愛と生の関係が色濃く浮き上がってくる。人は必ず死ぬ。“けれども”、生き続ける。いつか死ぬとわかっていても生きる。恋愛もだ。恋愛もいつかは終わりを告げる。“けれども”、人は人に恋をする。

じゃあなぜ生きるのか。じゃあなぜ恋をするのか。

まるで答えのない問いに、作者はどう答えるのか。ぜひ本書を手にとって、読み解いてほしい。

 

孤独を感じた理由

冒頭私は、本書を読んで「孤独を感じた」と書いた。それはなぜか。それは、私は誰かのことを焦がれるほど好きになったことがないからだ。弥生の言葉を借りれば、「誰かを思って胸が苦しくなったり、眠れないほどに嫉妬したり、そういうこと(P30)」をしたことがないからだ。そんな私を揶揄するような一節もまた、本作には含まれている。

例えば、離婚した父について母が語った言葉。

お父さんが他人を受け入れることができなかったのは、自分のことがよくわからないからなのよ。(P239)

そして、ゲイと噂される藤代の友人が語った言葉。

でも僕、思うんです。人は誰のことも愛せないと気づいたときに、孤独になるんだと思う。それって自分を愛していないってことだから。(P247) 

なんだか図星をさされたようで。本作で最も印象に残ったシーンかもしれない。とはいえ、一晩寝ればこの孤独感もケロッと失ってしまうのだろうが。。。

 

四月になれば彼女は

「四月になれば彼女は」という題名は、1960年代に活躍したアメリカ人の歌手“サイモン&ガーファンクル”の歌のタイトルらしい。サイモン&ガーファンクルといえば、中学のときに英後の授業で「明日に架ける橋」を練習したなあと、懐かしい気持ちになった。

私は小説に実在する音楽が出てくるのが好きだ。村上春樹ボブ・ディランも然り、伊坂幸太郎ローランド・カークもまた然り。

「四月になれば彼女は」は初めて聴いたが、サイモン&ガーファンクルの甘くて淡い声に、これから数週間はどっぷりとハマることになりそうだ。 

 

Sounds of Silence (Exp)

 

おわりに

願わくば、本作を「誰かを思って胸が苦しくなったり、眠れないほどに嫉妬したり、そういうこと」 ができる相手と出会ったときにもう一度読み返したいなと思う。

そして、その相手との愛情が薄らいでくるようなことがあろうものなら、ふたりで、この物語を読み返したい。そう思った。 

 

以上!

四月になれば彼女は

四月になれば彼女は

 

 

同著者の別作品については以下。 

tekuteku014.hatenadiary.com

 

 

【雑記】暖房いらずで電気代節約!ニトリで叶える冬のあったか生活

普段から私は、あまり考えずに衝動買いをしてしまう傾向があります。買った直後は大満足なんだけど、家に帰って袋から取り出す頃には既に興味がなくなっている、なんてこともしょっちゅうです。ひどい時には袋から取り出さないまま放置することもあります。いわゆる、“お買い物中毒な私”ですね。

そんな私が、この冬「本当に買ってよかった!!」と思えたものがあるんです。ちょうど、今週のはてなブログのお題が「今年、買ってよかった物」だったので、便乗して書いてみることにします。

今週のお題特別編「今年、買ってよかった物」(2016年を買い物で振り返ろう

それは、ズバリ。

ニトリのNウォーム寝具です。つまり、ニトリで購入できる超あたたかい布団のことです。これを購入して、私のこの冬の生活がガラリと変わりました。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、事実です。

ということで、「部屋がとてつもなく寒いけど、暖房つけて電気代高くなるの嫌だし。そもそもエアコンまだ掃除してないし。面倒くさいし。あー、でも寒い」なんて悩んでいる方へおすすめさせて頂きます。

念のため書いておきますが。決してニトリさんの回し者でも、アフェリエイト狙いでもないので、安心してご覧ください。そもそも「記事数がまだ足りません」とかなんとかでアフェリエイト申請したのにお断りされているので。涙

 

「部屋がとにかく寒い。でも電気代節約したい」

 

購入を決めたきっかけはまさにこれ。この秋、私は転職をしたのですが、それにより給料が減少。いつもなら「寒くなってきたし、暖房、暖房♪」なんて気軽にエアコンを稼動させてたのですが、今年は「電気代がかさむ」ことに恐怖を覚えているのです。

ただ、冬は容赦なくやってくる。

他の部屋より家賃が1万安いからと、安易な気持ちで北向きの部屋を選んだ私にとって、この部屋の冬の寒さは尋常じゃないわけです。

(※実家の母とのLINEでのやりとり)

 

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そんな私に舞い込んできた「11月の降雪予報」。ついにエアコンをつける時が来てしまったか・・・。と、謎の敗北感を背負いながらテレビを見ていると、「お値段以上♪ニトリのCMが。そこには、“家族にも愛犬にも冷たくあしらわれ落ち込む男性が、ニトリの寝具の暖かさに救われる”という、涙なしでは見られないストーリーが描かれていました。

「これだ…!」いつものように衝動的な物欲に駆られ、気づけばニトリ銀座プランタン店へ。なんの躊躇もなくNウォーム寝具を購入していました。(電気代はケチるのに散財癖は治そうとしない矛盾)

 

もこもこ、あったか。まさに“お値段以上、ニトリ♪”

今回私が、Nウォーム寝具シリーズの中で購入したのはこちら。

www.nitori-net.jp

敷きパッド。

残念ながら、敷布団や掛け布団を購入する財力がなかったので、一番お手軽に手に入る敷きパッドを購入しました。シングルサイズで2769円(税別)です。

これが、とにかくモコモコふわふわの肌触り。

 

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成分のことはよくわかりませんが、ニトリさんの公式表記によると、羽毛ポリエステル100%とのこと。ちなみに、洗濯OKという嬉しいオプションつき。思わず肌を撫でつけたくなるような、フリース生地です。

で、肝心の暖かさですが。暖房いらずのあたたかさです。なんてったって、きたる11月24日、観測史上54年ぶりとなる東京で11月に雪が降った日。

私は、勝利しました。

エアコンに頼らず、暖房をつけることなく、この日の寒さをしのぐことができたのです。この、ニトリNウォーム寝具という最強の武器のおかげで。(with湯たんぽ)

というわけで。

「電気代でお金が飛ぶなんて許せない」

「エアコン掃除するのめんどうくさい」

「・・・だが、寒い」

なんて頭を悩ませている方いらっしゃいましたら、ぜひニトリへ。

ちなみに、このニトリのNウォーム寝具シリーズですが、メリットばかりでなくデメリットもあるので以下記載しておきます。

ニトリNウォーム寝具を購入する際の注意事項

暖かいのは布団の中だけ

残念ながら、このNウォーム寝具。まわりの温度をあげる機能は備わっていないため、「寒い!」と思ったら布団の中にいる必要があります。つまり、行動範囲が布団の中に限られてしまいます。

 

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テレビを見るのも布団の中、本を読むのも布団の中、携帯いじるのも布団の中、ブログを書くのも布団の中。常に、写真のような体勢でいることになります。(今まさに布団の中でブログ更新中)  

 なかなか起きられない

 朝目覚めても、あまりの暖かさに布団から出たくないので、二度寝三度寝を繰り返してしまいます。気づけば、出勤に間に合うギリギリの時間。Nウォーム寝具を手に入れたことによって、優雅な朝の支度時間を手放すことになります。

休日に友達が泊まりにこようもんなら、なかなか布団から出てこずに、いつまで経っても帰ろうとしないため、ちょっと険悪なモードになります。

ご注意ください。 

 兎にも角にも、電気代節約は間違いなし!

とまあ、デメリットも紹介しましたが。

本来の目的である「電気代節約」の観点からすると、この冬エアコンやこたつといった暖房器具にはまだ頼っていないので、目的は果たせているかと思います。

 

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ニトリ万歳!Nウォーム寝具万歳!

ニトリの回し者ではございません※

最後に、都心に住んでいる方へ朗報です。

プランタン銀座の閉店に伴い、「車なしで行けるニトリがまだひとつ減ってしまう…」と肩を落としていることかと思いますが、なんと!12月1日に!新宿に!ニトリ高島屋新宿店がオープンしました!!車がなくてもニトリにいけちゃいますよ!

 

www.nikkei.com

ということで、今週のお題特別編「今年、買ってよかった物」(2016年を買い物で振り返ろう)でした!

他にも電気代を節約できる冬のあったか術を知っている方いましたら、ぜひ教えてください。すぐに実践します。

 

【小説感想】12月1日は映画の日!映画好きによる映画好きのための小説『キネマの神様』

 

「12月1日は何の日?」「映画の日

ということで今回は、私が好きな映画をご紹介!

ー…するのではなく、原田マハさん著の“ 映画好きによる映画好きのための小説 ”『キネマの神様』について書こうと思う。ちなみに、映画の日は1956年に映画産業団体連合会が制定したらしい。ぜひ、薀蓄のひとつとしてお見知り置きを。

  

キネマの神様 (文春文庫)

 

ただ、好きだ。それだけなんだ。

 

原田マハさんの作品を読んだのは本作が初めてだった。

読み終えて一番に思ったことは「この作者は本当に映画を愛しているんだな」ということだ。本作には実在する映画のタイトルがいくつも出てくる。その作品ひとつひとつに、そして映画という娯楽そのものに対する、作者の恋慕や敬意がひしひしと伝わってくるのだ。本作に出てくる登場人物たちの台詞は、きっとそのまま作者が思っていることなのだろうと思えてくる。

では、簡単にあらすじを。

 

 本作は、39歳の独身女性【円山歩】の視点から綴られている。歩は国内有数の大手デベロッパーに勤務し、「開発地区に映画館を中心とした文化施設を作る」というプロジェクトの課長を担っていた。しかし、女性社員の昇進をよく思わない社員による根も葉もない噂が広がったことにより、歩はそのプロジェクトを外され、17年間勤めた会社を辞職することに。その後、ひょんなことから映画雑誌『映友』を発行する会社に入社することになる。

 

さて、いよいよ歩を中心に物語が動きだすのか。・・・と思っていたが、実は本作。スポットライトを最も浴びるのは、【歩】ではなく、歩の父親なのだ。この父親【(通称)ゴウ】は、どうしようもないギャンブル好きで長年家族を困らせていた。 病気を患って入院しても病院を抜け出してギャンブルへ。果てには多額の借金が発覚する。

 

しかし、そんなゴウにも健全とも言える趣味があった。それが、映画だ。行きつけの小さな名画座、【テアトル銀幕】の真ん中の席は、いつだってゴウの特等席なのである。

 

そんなゴウが、これまたひょんなことから、歩が転職した会社で映画ブログをスタートさせることになる。そして、いよいよ始まるのだ。ブログというツールを通して、ゴウローズ・バッドと名乗る人物との映画論争が。

 

本作は野球賛美の映画である以上に、家族愛の物語なのです。 ーと、ゴウがブログに書けば、ー君はこの映画が「家族愛の物語」だと書いていたが、そんなに単純なものであれば、我々はもっと気楽にこの映画を堪能することができただろう。ーと、すかさずローズ・バッドがコメントをする。そんな論争が、実在する数々の映画に対して繰り広げられるのだ。

 

ローズ・バッドの正体については驚きとしか言いようがないが、こちらはネタバレになるので書くことは控えておく。

とにかく、ゴウそしてローズ・バッドの映画論争がとてつもなく面白いのだ。そして羨ましい!という気持ちを抱かざるをえないのだ。好きなものについて、これだけ意見を交わすことができるゴウやローズ・バッドに対して、嫉妬してしまうのだ。この嫉妬心は、本作を読めばきっと理解してもらえるだろう。好きなものを通して、戦友?盟友?と呼べるような相手と巡り会える。うん、とにかく羨ましい。

 

私は映画が好きだ。ただ、好きだ。それだけなんだ。

君とその思いを共有できて、私は幸福だった。

できることなら、君と一緒に、いちばんお気に入りの映画館で、いちばん好きな映画を見たかった。

そうだ、バターをたっぷりかけたポップコーンをほおばりながら。

(文庫版P314:ローズ・バッド)

 

この一節を、私は電車の中で読んだ。失態だった。

帰宅ラッシュの満員電車の中で、私は涙をこらえられなかったのだ。無理矢理泣き止もうとして逆に嗚咽を漏らしてしまったほどだ。人前で泣いてしまった羞恥心を感じながら、それでも、涙を止めることができなかった。

 

悲しいとか切ないとか、決してそんな感情から泣いたのではない。上述したとおり、ただただ羨ましかった。そして、私もそんな相手が欲しいと思った。好きなものを、好きなことを、「ただ、好きだ」、という気持ちだけで語り合い共有することができる相手と出会いたいと思った。願わくば、このブログもそんな出会いの場のひとつになればいいなと思う。 

 

※ちなみに。『キネマの神様』に登場する映画については以下ご参照。

matome.naver.jp

 

※ちなみに。

『キネマの神様』に登場する映画館【テアトル銀幕】は恐らく飯田橋にある名画座【ギンレイホール】を模していると思われる。近くに住んでいるので、何回か行ったことがあるが、たまに行く名画座って、いわゆるシネコンと違って、また良いんだよなあ。名画座って何?名画座って一度行ってみたかったんだよね!って方は、以下ご参照。

飯田橋ギンレイホール

 

【小説感想】『ふがいない僕は空を見た』女性による女性のためのR-18(官能)小説

 

前職の話だが、「あー!ムラムラする!今絶対排卵期だわー」と突如叫び出す女性の先輩社員がいた。そうだ、女性だってムラムラするんだ。

とはいえ、「今夜SEXしようよ!」なんて気軽に誘える相手がいるわけでもないし、ひとりで行うのも、なんだか気がひける。じゃあ、このムラムラどうすればいいの!

なんて気持ちに陥っていた時に出会った本作。

 

ふがいない僕は空を見た

 

新潮社が主催する“ 女による女のためのR-18文学賞 ”を受賞した作品が含まれている一冊で、官能的な気分になれることを期待して購入した、が。

その期待は(良い意味で)見事に裏切られることになる。

もちろん、R-18を謳っているため、官能的な表現はふんだんに含まれている。ので、それを期待して購入するのも悪くはない。

 

おれの動きに合わせて、あんずが腰を回した。あんずがおれの顔に手を伸ばして、口の中にひとさし指を入れて、おれの口の中をかきまわした。あーんとあんずが子どもみたいな声をあげて、ペニスの先にかたいものが触れたとき、もう限界だった。頭のうしろのほうで細い光の線が一瞬見え、快感で鼻の下がむずむずした。

 

とは言え、この作品の魅力は官能的部分だけでは終わらない。むしろ後半は官能的表現はほとんどない。それでも惹きつけられる。理不尽でふがいない日常を必死に生きていく登場人物たちに惹きつけられるのだ。

ちなみに本作は、5つの連作短編で成り立っている。以下簡単に記述を。

 

5つのストーリー

ミクマリ

本作において中心人物となる男子高校生【斉藤卓巳】の視点から綴られたストーリー。友人に付き添って訪れたオタクのイベントで、不妊の専業主婦“あんず”と出会い、不倫関係に陥る卓巳。学校が終わると“あんず”のマンションを訪れ、セックスをする。“あんず”が用意したコスプレ衣装をまとい、“あんず”が用意した原稿通りのセックスを。

そんな関係が続いていた中、同級生に告白されたことによって一度は“あんず”に別れを告げる卓巳。だが、ショッピングセンターで“あんず”を見かけたことにより、“あんず”のことが頭から離れなくなり、再び家を訪れることに。

再会を果たしたふたりは、初めて、コスプレ衣装をまとうことなく、真の姿で、お互いを貪るように身体を重ねる。これまで感じることのなかった燃えるような感情、そして快楽。“あんず”への恋心を確信する卓巳だったが、行為を終えた後、「今までありがとね」と、今度は“あんず”から別れを告げられることに。そこで、ミクマリは幕を閉じる。

 

 「いやだいやだいやだいやだ行かないで行かないで行かないで。おれを置いていかないで」。ぶざまに駄々をこねることで、あんずが行かなくてもいいことになるんじゃないかと本気で思ったのだ。おれは子どもだから。あんずはそんなおれを一瞬だけ泣きそうな顔で見て、「もうおうちに帰らないとね」と、さっきよりももっと小さなかたい声で言った。

(出典:『ふがいない僕は空を見た』ミクマリ)

 

コスプレ衣装を纏っていた時のセックスと、衣装をまとわずに生身のまま行った最初で最後のセックス。 このふたつの対比が、見事だと思った。前半のセックスで漂っていた虚無感や脱力感は、最後のセックスには微塵も感じられない。

感じるのは、ふたりの激しい息づかいとぶつかり合う鼓動の音。ソファーが軋む振動。そして、身体を重ねることで感じる“ 性(生)に対するふたりの悦び”だ。思わず己の呼吸まで荒くなっていきそうになる。

だからこそ、その後の展開があまりにも残酷だった。はじめて感情をぶつけ合ったふたりを嘲笑うような、皮肉な展開。それまで高校生にしては落ち着いた印象だった卓巳が、子どものように駄々をこねるシーン(上記の引用)は生々しく、強烈な余韻として残った。

 

世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸

2編では、卓巳の不倫相手“あんず”こと【里美】の視点から物語が綴られている。ミクマリでは、単なるコスプレプレイを好む不倫相手“あんず”の姿でしか描かれていなかったが、世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸では、【里美】というひとりの女性の心の闇やその背景が露わになる。

世間や社会との不適合性。ただ生きていくために選んだ結婚。望まない妊娠。姑から強要される不妊治療。「離婚してください」という願いもかなわず、これからもずっと、弱すぎる夫と強すぎる姑との世界の中で生きていくのだろう。そんな世界の中で、コスプレ衣装をまとうことは現実逃避の手段、卓巳との最後のセックスは、里美にとっての唯一の心の支えになるのかもしれない。

 

2035年のオーガズム

3編では、卓巳に告白をした同級生【七菜】の視点から物語が綴られている。七菜自身の性に対する興味、卓巳への恋心、七菜の兄のこと(生まれながらに頭が良くT大に現役合格。大学在籍中にフリーセックスを推奨する宗教団体に入団し家出。戻ってきてからはずっとひきこもり)など、いくつかテーマはあったが、3編については七菜の母親の、子に対する強い思いしか印象に残っていない。

 

この家で絶対に死なせないわよ。パパが建てた家なのよ。優介と七菜を守るために、パパが死ぬ気で働いて建てたのよ。優介を死なせないわよ!絶対に私よりも死なせないから

 

どうしようもない宗教団体にハマり、帰ってきてからも部屋にひきこもりっぱなしの息子。自分の子供なのに、息子が何を考えているのか、きっと理解できなかっただろう。宇宙人とさえ思ったかもしれない。でも、死ぬことは許さない。決して。生きてさえくれればいい。そんな、親の子に対する執着というか、思いというか、そんなものが、嵐の夜に爆発した母親の言葉の数々から伝わってきた。

 

セイタカアワダチソウの空

4編では、卓巳の友人【福田】の視点から物語が綴られている。小さいときから団地で貧困生活を送ってきた福田。高校生になった今は、痴呆の祖母とふたりで暮らしている。周囲からは「団地の住人だ」「万引きが起これば団地のやつが犯人だ」と冷ややかな視線を向けられながら過ごしてきた。そんな福田に対して、アルバイト先の先輩【田岡】が、「おまえさ、進学のこと本気で考えな」と勉強を教えてくれるようになる。「今のおまえに何もないでしょ。おまえのステータス上げる大卒っていうアイテムくらい装備しておいてもいいんじゃないの」と。だが、そんな田岡自身、彼自身望まない事情を抱えていて・・・。

 

「そんな趣味、おれが望んだわけじゃないのに。

 余計なオプションつけるよな神さまって」

(田岡)

「どんな子どもも、自分を育ててくれる親や、

 自分の人生を選んで生まれてくるんですよ」

ぼくはぼくの人生を本当に自分で選んだか?

ぼくは小さく舌打ちをして、

いじわるな神さまがいるかもしれない空に向け、唾を吐いた。

(福田)

 

どうしようもない趣味を持つ。貧困家庭に生まれる。自分が好んで選んだわけではない。生まれたときから与えられた世界、運命なのだ。その運命は覆せるのだろうか。抗えるのだろうか。いや、従うしかないのだろうか。その運命に従いながらも、必死にもがき生きていくしかないのだろうか。私個人としては、3編が一番、本作のタイトル「ふがいない僕は空を見上げた」の「ふがいない」という言葉がしっくりくるなと感じた。

 

花粉・受粉

5編は、助産院を営み助産師として働く【卓巳の母】の視点から物語が綴られている。

里美とのセックス動画が世間にばらまかれ、ひきこもりになってしまった息子卓巳。己の息子が苦しんでいる姿を見守りながら、これから生まれてくる命と対峙し続ける。

 

今までにとりあげた子、とりあげられなかった子、私の手の中ですぐに亡くなってしまった子、これからとりあげる子たちのことを祈った。

「先生、私、絶対に自然に産めますよね」

ここにやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。自然に産む覚悟をすることは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ。彼女たちが抱く、自然という言葉のイメージ。オーガニックコットンのような、ふわふわでやわらかく、はかないもの。それも間違ってはいないのだろうけれど、自然分娩でも、高度な医療機器に囲まれていても、お産には、温かい肉が裂け、熱い血が噴き出すような出来事もある。時には、母親や子どもも命を落とす。どんなに医療技術が発達したって、昔も今もお産が命がけであることは変わらないのだ。

この窓からの風景が一瞬で消えるようなことが起こっても、私はこの世界に生まれてこようとする赤んぼうを助けるだろう。だから、生まれておいで。

 

5編では、助産院という命の現場を通して、新しい命が無事にこの世に生まれてくること自体の奇跡、そして1から4編で描かれたどうしようもない世界をこれから生きていくことになる新しい命に対する、作者の祈りが込められているように感じた。

 

どんな世界でだって、生きていく

 

読後の感想として、重松清さんの書評が一番しっくり来たので一部引用。

 

「作品と作者の美点はいくつもあるのだが、なにより惹かれたのは、どうしようもなさをそれぞれに抱えた登場人物一人ひとりへの作者のまなざしだった。救いはしない。かばうわけでもない。彼らや彼女たちを、ただ、認める。」「ただ生きて、ただここに在る――「ただ」の愚かしさと愛おしさとを作者は等分に見つめ、まるごと肯定する。その覚悟に満ちたまなざしの深さと強さに、それこそ、ただただ圧倒されたのである。 

 

本作で描かれていた5つの世界。決して非現実的な世界ではない。誰かにとって、どうしようもない世界が、今まさに日常としてあるかもしれない。どう足掻いても、どう抗っても、覆すことができない日常が。それでも私たちは、生きていくんだ。生き延びるんだ。「命って大切!」なんて綺麗ごとを言うつもりはない。私たちの目の前にある日常を生きていく。

ただ、それだけだ。

 

 

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

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