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【小説感想】『ふがいない僕は空を見た』女性による女性のためのR-18(官能)小説

 

前職の話だが、「あー!ムラムラする!今絶対排卵期だわー」と突如叫び出す女性の先輩社員がいた。そうだ、女性だってムラムラするんだ。

とはいえ、「今夜SEXしようよ!」なんて気軽に誘える相手がいるわけでもないし、ひとりで行うのも、なんだか気がひける。じゃあ、このムラムラどうすればいいの!

なんて気持ちに陥っていた時に出会った本作。

 

ふがいない僕は空を見た

 

新潮社が主催する“ 女による女のためのR-18文学賞 ”を受賞した作品が含まれている一冊で、官能的な気分になれることを期待して購入した、が。

その期待は(良い意味で)見事に裏切られることになる。

もちろん、R-18を謳っているため、官能的な表現はふんだんに含まれている。ので、それを期待して購入するのも悪くはない。

 

おれの動きに合わせて、あんずが腰を回した。あんずがおれの顔に手を伸ばして、口の中にひとさし指を入れて、おれの口の中をかきまわした。あーんとあんずが子どもみたいな声をあげて、ペニスの先にかたいものが触れたとき、もう限界だった。頭のうしろのほうで細い光の線が一瞬見え、快感で鼻の下がむずむずした。

 

とは言え、この作品の魅力は官能的部分だけでは終わらない。むしろ後半は官能的表現はほとんどない。それでも惹きつけられる。理不尽でふがいない日常を必死に生きていく登場人物たちに惹きつけられるのだ。

ちなみに本作は、5つの連作短編で成り立っている。以下簡単に記述を。

 

5つのストーリー

ミクマリ

本作において中心人物となる男子高校生【斉藤卓巳】の視点から綴られたストーリー。友人に付き添って訪れたオタクのイベントで、不妊の専業主婦“あんず”と出会い、不倫関係に陥る卓巳。学校が終わると“あんず”のマンションを訪れ、セックスをする。“あんず”が用意したコスプレ衣装をまとい、“あんず”が用意した原稿通りのセックスを。

そんな関係が続いていた中、同級生に告白されたことによって一度は“あんず”に別れを告げる卓巳。だが、ショッピングセンターで“あんず”を見かけたことにより、“あんず”のことが頭から離れなくなり、再び家を訪れることに。

再会を果たしたふたりは、初めて、コスプレ衣装をまとうことなく、真の姿で、お互いを貪るように身体を重ねる。これまで感じることのなかった燃えるような感情、そして快楽。“あんず”への恋心を確信する卓巳だったが、行為を終えた後、「今までありがとね」と、今度は“あんず”から別れを告げられることに。そこで、ミクマリは幕を閉じる。

 

 「いやだいやだいやだいやだ行かないで行かないで行かないで。おれを置いていかないで」。ぶざまに駄々をこねることで、あんずが行かなくてもいいことになるんじゃないかと本気で思ったのだ。おれは子どもだから。あんずはそんなおれを一瞬だけ泣きそうな顔で見て、「もうおうちに帰らないとね」と、さっきよりももっと小さなかたい声で言った。

(出典:『ふがいない僕は空を見た』ミクマリ)

 

コスプレ衣装を纏っていた時のセックスと、衣装をまとわずに生身のまま行った最初で最後のセックス。 このふたつの対比が、見事だと思った。前半のセックスで漂っていた虚無感や脱力感は、最後のセックスには微塵も感じられない。

感じるのは、ふたりの激しい息づかいとぶつかり合う鼓動の音。ソファーが軋む振動。そして、身体を重ねることで感じる“ 性(生)に対するふたりの悦び”だ。思わず己の呼吸まで荒くなっていきそうになる。

だからこそ、その後の展開があまりにも残酷だった。はじめて感情をぶつけ合ったふたりを嘲笑うような、皮肉な展開。それまで高校生にしては落ち着いた印象だった卓巳が、子どものように駄々をこねるシーン(上記の引用)は生々しく、強烈な余韻として残った。

 

世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸

2編では、卓巳の不倫相手“あんず”こと【里美】の視点から物語が綴られている。ミクマリでは、単なるコスプレプレイを好む不倫相手“あんず”の姿でしか描かれていなかったが、世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸では、【里美】というひとりの女性の心の闇やその背景が露わになる。

世間や社会との不適合性。ただ生きていくために選んだ結婚。望まない妊娠。姑から強要される不妊治療。「離婚してください」という願いもかなわず、これからもずっと、弱すぎる夫と強すぎる姑との世界の中で生きていくのだろう。そんな世界の中で、コスプレ衣装をまとうことは現実逃避の手段、卓巳との最後のセックスは、里美にとっての唯一の心の支えになるのかもしれない。

 

2035年のオーガズム

3編では、卓巳に告白をした同級生【七菜】の視点から物語が綴られている。七菜自身の性に対する興味、卓巳への恋心、七菜の兄のこと(生まれながらに頭が良くT大に現役合格。大学在籍中にフリーセックスを推奨する宗教団体に入団し家出。戻ってきてからはずっとひきこもり)など、いくつかテーマはあったが、3編については七菜の母親の、子に対する強い思いしか印象に残っていない。

 

この家で絶対に死なせないわよ。パパが建てた家なのよ。優介と七菜を守るために、パパが死ぬ気で働いて建てたのよ。優介を死なせないわよ!絶対に私よりも死なせないから

 

どうしようもない宗教団体にハマり、帰ってきてからも部屋にひきこもりっぱなしの息子。自分の子供なのに、息子が何を考えているのか、きっと理解できなかっただろう。宇宙人とさえ思ったかもしれない。でも、死ぬことは許さない。決して。生きてさえくれればいい。そんな、親の子に対する執着というか、思いというか、そんなものが、嵐の夜に爆発した母親の言葉の数々から伝わってきた。

 

セイタカアワダチソウの空

4編では、卓巳の友人【福田】の視点から物語が綴られている。小さいときから団地で貧困生活を送ってきた福田。高校生になった今は、痴呆の祖母とふたりで暮らしている。周囲からは「団地の住人だ」「万引きが起これば団地のやつが犯人だ」と冷ややかな視線を向けられながら過ごしてきた。そんな福田に対して、アルバイト先の先輩【田岡】が、「おまえさ、進学のこと本気で考えな」と勉強を教えてくれるようになる。「今のおまえに何もないでしょ。おまえのステータス上げる大卒っていうアイテムくらい装備しておいてもいいんじゃないの」と。だが、そんな田岡自身、彼自身望まない事情を抱えていて・・・。

 

「そんな趣味、おれが望んだわけじゃないのに。

 余計なオプションつけるよな神さまって」

(田岡)

「どんな子どもも、自分を育ててくれる親や、

 自分の人生を選んで生まれてくるんですよ」

ぼくはぼくの人生を本当に自分で選んだか?

ぼくは小さく舌打ちをして、

いじわるな神さまがいるかもしれない空に向け、唾を吐いた。

(福田)

 

どうしようもない趣味を持つ。貧困家庭に生まれる。自分が好んで選んだわけではない。生まれたときから与えられた世界、運命なのだ。その運命は覆せるのだろうか。抗えるのだろうか。いや、従うしかないのだろうか。その運命に従いながらも、必死にもがき生きていくしかないのだろうか。私個人としては、3編が一番、本作のタイトル「ふがいない僕は空を見上げた」の「ふがいない」という言葉がしっくりくるなと感じた。

 

花粉・受粉

5編は、助産院を営み助産師として働く【卓巳の母】の視点から物語が綴られている。

里美とのセックス動画が世間にばらまかれ、ひきこもりになってしまった息子卓巳。己の息子が苦しんでいる姿を見守りながら、これから生まれてくる命と対峙し続ける。

 

今までにとりあげた子、とりあげられなかった子、私の手の中ですぐに亡くなってしまった子、これからとりあげる子たちのことを祈った。

「先生、私、絶対に自然に産めますよね」

ここにやってくるたくさんの産婦さんたちが口にする、自然という言葉を聞くたびに、私はたくさんの言葉を空気とともにのみこむ。自然に産む覚悟をすることは、自然淘汰されてしまう命の存在をも認めることだ。彼女たちが抱く、自然という言葉のイメージ。オーガニックコットンのような、ふわふわでやわらかく、はかないもの。それも間違ってはいないのだろうけれど、自然分娩でも、高度な医療機器に囲まれていても、お産には、温かい肉が裂け、熱い血が噴き出すような出来事もある。時には、母親や子どもも命を落とす。どんなに医療技術が発達したって、昔も今もお産が命がけであることは変わらないのだ。

この窓からの風景が一瞬で消えるようなことが起こっても、私はこの世界に生まれてこようとする赤んぼうを助けるだろう。だから、生まれておいで。

 

5編では、助産院という命の現場を通して、新しい命が無事にこの世に生まれてくること自体の奇跡、そして1から4編で描かれたどうしようもない世界をこれから生きていくことになる新しい命に対する、作者の祈りが込められているように感じた。

 

どんな世界でだって、生きていく

 

読後の感想として、重松清さんの書評が一番しっくり来たので一部引用。

 

「作品と作者の美点はいくつもあるのだが、なにより惹かれたのは、どうしようもなさをそれぞれに抱えた登場人物一人ひとりへの作者のまなざしだった。救いはしない。かばうわけでもない。彼らや彼女たちを、ただ、認める。」「ただ生きて、ただここに在る――「ただ」の愚かしさと愛おしさとを作者は等分に見つめ、まるごと肯定する。その覚悟に満ちたまなざしの深さと強さに、それこそ、ただただ圧倒されたのである。 

 

本作で描かれていた5つの世界。決して非現実的な世界ではない。誰かにとって、どうしようもない世界が、今まさに日常としてあるかもしれない。どう足掻いても、どう抗っても、覆すことができない日常が。それでも私たちは、生きていくんだ。生き延びるんだ。「命って大切!」なんて綺麗ごとを言うつもりはない。私たちの目の前にある日常を生きていく。

ただ、それだけだ。

 

 

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

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